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  • 2006.09.18 Monday
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お前

「あ、そうですか」と、「タイメイ」さんはまた気がるに引きかえしてきた。そして、
「今の家、けさ来がけに菓子箱を背負った娘さんに会ったでしょう、あの家ですよ」
 と言う。それであんなことを言って様子を探ったんだな、と思った。僕は、のこのこ「タイメイ」さんについて部落じゅうを歩いたが、何だか「タイメイ」さんのおかげでうっかりすると恥をかきそうだな、と気がついた。こんなに娘ばっかり探して歩くなんて、なんだか犬みたいな気がする。僕は、「タイメイ」さんがまたどっかへ行こうとするのを断って、さっさと宿屋へかえった。
 翌朝目ざめるとひどい吹き降りだった。一日じゅう閉じこめられていると、夕方になって一人の娘さんが、「タイメイ」さんを訪ねてきた。それは昨夜寝ているのをたたき起した農家の娘さんで、「タイメイ」さんが東京にいた時分やはり上京して女中奉公をしていたとかで、話の様子では「タイメイ」さんの世話にいろいろなったらしい。また、彼女がちょっと立った間に、この娘さんは今恋愛でなやんでいる、その相手は神着の妻子のある四十過ぎた、島で一番古い家柄の主人であること、そのために、いっしょになるわけにも行かず、別れることもできずちゅうぶらりんになっていることなど聞かされた。その人は僕も檜垣のところで会って知っていた。「タイメイ」さんは病気で禁酒だと言っていたが、欲しそうな様子もあるので、すすめるとよく飲んだ。この晩もそうで、飲みかつよく喋る。娘さんはお酌をした。
「なあ、お前、よくよく考えてだね、ひとつこの私に任かせてちょうだい。私に考えがあるから、ひとつ任かせておくれ」
「なにを任かせるんです。何も任かせることなんかありゃしない」と、娘。
「えへえ、そんなことを。まさかお前もこのまま牛の尻を追ったり山へ芋掘りに行ってばかりもいられまい」
「私は山が好きですよ、村はうるさいからね。山へ行ってる時がいちばんいい。牛の尻を追ったって、そんな暮しはちっとも悪いなんて思いやしない」
「まだ、あんなことを言う。そんなこと言っているとまた猫イラズだよ」
 娘さんは笑いだした。東京に女中奉公していたとき、猫イラズをのんだという。
「どうってねえ、どういう気もないのよ。つい変な気になってねえ、のんだところがまずくてまずくて、吐きだしちゃった」
「あれですからね」

飴玉三十銭

路々あのいきなり暗いところから現われてすっと通りぬけるような人影に会う。でも、いくらか慣れたせいで、僕にもそれが男か女かの区別くらいつくようになった。相手を見きわめるようにぬっと来るのは男で、女はたいてい音をたてないようにして前屈みに速く歩く。「タイメイ」さんは、擦れちがうのが男だとけっして近よらないが、女だと他の男がやるようにぬっと傍へよって行く。大部分は顔見知りとみえて何かしら話す。「タイメイ」さんはまるで僕のいるのを忘れたように忙しかった。そしてかならず「○○館に泊っていますからね、遊びにいらっしゃい」とつけ加えるのだった。
 とうとう部落外れのようなところへ出た。そこらはいくらか路が高手になっているせいかきゅうに月の光りがはっきりして見えた。桃の花が鮮かに咲いていた。戸を閉めきった、庭先きの地面だけがあかるい家の前へ来ると「タイメイ」さんは、ちょっと、と言いおいて小走りにその家の前へ行き、戸を叩いてもう眠っているのを起した。何の用かと思っていると、「もし、もし、タイメイですよ。たま子さんはもうお休すみですか」と言うのが聞えた。僕は少しあっけにとられた。あんなことを言って娘を夜遊びに誘ったりして家の人に怒鳴られやしないかと思った。するうち戸が開いて、母親らしいのが顔を出した様子だった。別に怒られもしない。何か話してる。
「ああそうですか、おやすみのところをすみませんでした」と、「タイメイ」さんはいやに叮嚀(ていねい)に言って引き返してきた。もうかえるのかと思っていたらまた別の方へつれて行った。そして、やはり寝ているのを外から呼び起して、
「もし、もし、飴玉三十銭ほど明日までにこしらえておいてください」
 と言う。家の中からは、もう自家(うち)ではこしらえていません、というようなことを返事している。

動詞

言う話す shuo
書く xie
聞く ting
読む nian
見る kan
思う xiang
行く qu
来る lai
帰る hui

横へ流れ

その夜、部落に婚礼があるというので、僕は「タイメイ」さんにつれられて見物に行った。宿屋の外へ出ると、そこは例の石畳の路だ。そこを爪先上りにのぼって行くと、上手から人影が三つ四つ下りてくる。話声で年配のおかみさんたちだとわかる。擦(す)れちがいざまに顔をのけぞるようにして僕たちをまじまじと眺める。瞬間ぴったりと黙っているのだ。そしてやりすごしておいてきゅうにかたまって、夜目なのでよくわからないが袖でのどもとを隠すように前屈みになって、がやがや言いながら下りて行く。また前方から誰か来る。すぐ近くに来るまではそれが男だか女だかよくわからない。どの人影も擦れちがいざまに、透(すか)し見る様子をする。ところどころの角や軒下なんかに、二三人黒くかたまっているのもある。そういう人影は行くにしたがって多くなってきた。婚礼のある家の前あたりには、そこらの暗らがりにどこにでも一人や二人の人影が見えないところはない。みんなひそひそ話している。時々大きい声がするのは、子供がきゃっきゃっ叫ぶくらいのものだ。婚礼のある家は、雑貨店らしく、それらの品物を容れた棚が見える。店にはランプが一つともっているきりで、その下で赭(あか)ら顔のでっぷり肥った男が袴をはいて坐って、時々表の方の人影を意味ありげな笑いを含んだ眼で眺めている。
 その家の前にちょっとした空地があり、半鐘を吊した梯子(はしご)が立っている。そこの石垣に身をもたせかけて、僕と「タイメイ」さんとしばらく待っていた。ひる間にくらべるとだいぶ風が出てきたので、寒いくらいだ。僕はそのときやっと気がついたのだが、部落の路には明りが少しもなかった。そして、真上には暈(かさ)のかかった大きな月が出ていた。人の顔がはっきり見えないながらも、とにかく部落の中を歩いてこられたのはそのためだった。ずいぶん待った。婿入りだということだが、その行列はちっとも来ない。いつのまにか僕たちのまわりには十三四歳の女の子たちが集まっていた。前へはけっして来ない。時々、まるで魚の列から一二匹気まぐれなやつが横へ流れをつっ切ってゆくように、一人二人がわざと僕たちの前をすっと通り抜けてはかえってくる。そしてもとの群へかえるとくつくつ忍び笑いをするのだ。中には月をいっぱいうけて顔をさっとつきだして逃げるのがある。その群は向うの暗がりへ行ったり、また僕たちの背後にそっと近よったりした。
「タイメイ」さんは、まだ始まらないから少しそこいらを歩いてこようと言うので、部落の先きの方へ出かけた。僕はどこをどう歩いているのか少しもわからない。ただいちようにうす明い、暗がりのたくさんある部落の間を、一種興奮した心持で「タイメイ」さんについて行った。

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 かくべつすぐれたところの無い養母たちにも心から頭を下げたことが二度あつた。一度は、後のまま母の生きて居るうち、自分の五十五の年であつた。中年で習つて、折角はやりかけた医術も、過労のため押し切れなく成り、それで儲(もう)けて建てた、かなり立派な家も人手に渡し、田舎(いなか)へ引込んだ年であつた。そのときは妻の母も一緒にして仕舞つたので、狭い田舎の家に二人の老婆がむさくるしく、ごたごた住まねばならなかつた。もとは大阪堂島の、相当戸前も張つて居る商家のお家はんであつたのを、秋成がその店を引受けてから急に左り前になつたその衰運をまともにつきあひ、わびしいめに堪へながら、秋成がやつとありついた医業にいくらか栄えが来て、楽隠居(らくいんきょ)にして貰(もら)つたところで、また、がたんと貧乏住居(ずまい)に堕(お)ちたのだつた。だから秋成にしてみれば、まま母に、何とも気の毒でしやうが無かつた。そこで、五十五の男が母の前に額(ぬか)をつけ、不孝、この上なしと、詫(わ)びたのだつた。すると、まま母は==何としやうもない事だ。と返事して呉(く)れた。ものを諦める、といふほど積極的に気を働かす女でなく、いつもその儘(まま)、その儘のところに自分を当て嵌(は)めた生活を、ひとりでにするたちの女だつた。けれども、この母のこの返事は、可成(かな)り秋成に世の中を住みよくさして呉(く)れた。この母と妻の母と、もう五十に手のとゞきさうな妻と、三人の老婆が、老鶏(ろうけい)のやうに無意識に連れ立つて、長柄の川べりへ薺(なずな)など摘みに行つた。
 かういふ気易(きやす)さを見て、暮しの方に安心した自分は、例の追ひ求むるこころを、歴史の上の不思議、古語の魅力へいよいよ専(もっぱ)らに注ぐのだつた。

独学孤陋

 養家の父母の甘いをよいことにして、秋成はその青年期を遊蕩(ゆうとう)に暮した。この点に於て普通の大阪の多少富裕な家の遊び好きのぼんちに異らなかつた。当時流行の気質(かたぎ)本を読み、狭斜(きょうしゃ)の巷(ちまた)にさすらひ、すまふ、芝居の見物に身を入れたはもとよりである。そこに俳諧(はいかい)の余技があり、気質本二篇を書いては居るが、これは古今を通じて多くの遊蕩児中には、ままある文学癖(へき)の遺物としてのこつたに過ぎない。ところが、三十五歳、彼の遊蕩生活が終りを告げるころ、彼は突如として雨月物語を書いた。この物語によつて彼の和漢の文学に対する通暁さ加減は、尋常一様の文学青年の造詣(ぞうけい)ではない。押しも押されもせぬ文豪のおもかげがある。遊蕩青年からすぐこの文豪の風格を備(そな)へた著書を生んだその間の系統の不明なのに、他の国文学者たちは一致して不思議がつて居る。殊(こと)に彼自身、二十余歳まで眼に国語を知らず、郷党(きょうとう)に笑はれたなどと韜晦(とうかい)して人に語つたのが、他人の日記にもしるされてあるので、一層この間の彼の文学的内容生活は、他人の不思議さを増させた。彼はこの時までに俳諧では高井凡圭(きけい)、儒学は五井蘭州(ごいらんしゅう)、その他都賀庭鐘(つがていしょう)、建部綾足(たけべあやたり)、といふやうな学者で物語本の作者である人々についても、すこしは教へを受けたが、大たいはその造詣を自分で培(つちか)つた。それも強(し)ひて精励努力したといふわけでは無い。幼年から数奇(すうき)な運命は彼の本来の性質の真情を求めるこころを曲げゆがめ、神秘的な美欲や愛欲や智識欲の追躡(ついじょう)といふやうな方面へ、彼の強鞣な精神力を追ひ込み、その推進力によつて知らぬ間に、彼の和漢の学に対する蘊蓄(うんちく)は深められてゐた。彼の造詣の深さを証拠立てる事は彼が三十五歳雨月物語を成すすこし前、賀茂真淵(かものまぶち)直系の国学者で幕府旗本の士である加藤宇万伎(うまき)に贄(し)を執(と)つたが、この師は彼の一生のうちで、一番敬崇を運び、この師の歿(ぼっ)するまで十一年間彼は、この師に親しみを続けて来たほどである。この宇万伎は、彼が入門するとたちまち弟子よりもむしろ友人、あるひは客員の待遇をもつて、彼に臨み、死ぬときは、彼を尋常一様の国学者でないとして学問上の後事をさへ彼に托(たく)した。そして、この間に彼の名もそろそろ世間に聞え始めてゐた。しかし、それほどの師にすら、秋成の現実の対照に向つては、いつも絶対の感情の流露を許さぬ習癖が、うそ寒い疑心をもち==師のいひし事にもしられぬ事どもあつて、と結局は自力に帰り、独窓のもとでこそ却(かえっ)て研究は徹底すると独学孤陋(ころう)の徳を讃美して居る。
 かういふやうに、人に屈せず、人を信ぜぬ彼であつたが、前の養母にも一度衷心(ちゅうしん)感謝を披瀝(ひれき)したといふのは、享和(きょうわ)元年彼は六十八歳になつたが、この年齢は大阪の歌島稲荷社の神が彼に与へた寿命の尽きる歳であつた。養母は秋成が四つの歳に疱瘡(ほうそう)を病み、その時死ぬべき筈(はず)の命を歌島稲荷に祈つて、彼が六十八歳まで生き延びる時を期して自分の命を召します代りに、幼い命を救はれよと祈つたのであつた。その六十八歳になつても彼は死なず、祈つた養母自身がそれから二年目に死んだのが、自分の身替りのやうに有がたく思はれ、死骸(しがい)に向つてしみじみ頭を下げたのだつた。それにしてもそれから今日までまた余りに生き延びた。やつぱり自分のしんにうづいてゐるまた何物かを追ひ求める執念が自分の命を死なさないのか。この妄執の念の去らぬうちは、自分はいやでもこの世に生かせられるのではあるまいか、それは、辛(つら)く怖ろしいことのやうに思はれる。また、楽しい心丈夫な気持もする。人間にある迷ひといふものは、寿命に対してなかなか味のある働きをしてゐるやうにも考へられる。

一草医秋成

 疑念ふかい彼はまた、若い頃からどの女を見ても醜い種が果肉の奥に隠されてゐて、自分の興を醒(さま)した。男を誘惑して子を生んでやらう。産んだ子を人質に、男を永く自分の便りにさしてやらう、生んだその子に向つては威張(いば)つて自分を扶助(ふじょ)さしてやらう――かういふいはれの種を持たない女は一人も無からう。もつとも女自身が必ずしもさういふ魂胆を一人残らず知つてゐて男に働きかけるわけではない。たいがいの女は何にも知らずに無心に立居振舞ふのである。だがその無心の振舞ひのなかに、もう、これだけの種が仕込まれてゐるのだ。女が罪が深いとほとけも云はれたが、およそ、こんなところをさしたのではないか。自分が遇(あ)つた女にはみなこの罠(わな)があつて危くてうつとりできなかつた。また、しやうばい女などはそれとはまるで違ふ種だが、やつぱりかならず持つて居る。男を迷はさず男の魂を飛さずに惚(ほ)れられる女は一人も無かつた。惚れればきつと男の性根を抜き、男を腑抜(ふぬ)けにして木偶(でく)人形のやうに扱はうとする。男に自分の性根をしつかり持ち据ゑさせ乍(なが)ら恍惚(こうこつ)たる気持にさして呉(く)れる女は一人も無かつた。さういふ女のことごとくが、男の性根のあるうちは、まるでそれをさかなに骨があるやうに気にしてむしりにかかる。骨がきれいにむしられて仕舞(しま)ふと安心して喰べにかかる。
 酒のやうに酔はせる女はたくさんある。茶のやうに酔はせる女は一人も無い。栄西禅師(ようさいぜんじ)の喫茶養生記の一節を思ひ出す。「茶を飲んで一夜眠らぬも、明日身不レ苦」と。一夜眠らざるも明日身苦しからぬ恋があらうか……そんなわけから、二十九のとき貰(もら)つた妻といふものにも何の期待も持たなかつた。年頃になつたから人並に身を固めるといふ世間並に従つたまでだ。名をお玉といつて自分とは八つ違ひだつた。大阪で育つた女だが、生れは京都の百姓の娘だから辛抱は強かつた。踏みつければ踏みつけられたまま伸びて行くといふたちの女だつた。それを幸(さいわ)ひ、こちらもまだ遊び盛りの歳だものだから、家を外に、俳諧(はいかい)、戯作(げさく)者仲間のつきあひにうつつを抜した。たまにうちへかへつてみると、お玉の野暮(やぼ)さ加減が気に触つた。自分と同じ病気なのも癪(しゃく)に触つた。遊びは三十を過ぎても慢性になつて続いて行くうちに、三十七の歳に養父は歿(な)くなる。紙屋の店を継いではじめて商売を手がけてみた。慣れぬこととてうまくゆく道理はない。その弱り目に翌年逢(あ)つた店の火事、次の一年間は何とか店を立て直さうとさまざまに肝胆を砕いてみたが駄目(だめ)だつた。そしておよそ商家に育つて自分くらゐ商売に不向きな性質の人間はないと悟つた。何故(なぜ)といふに、みすみす原価より高く利徳といふものを加へて品物を、知らん顔して人に売るといふことが、どうも気がひけてならなかつたからである。商品に手数料の利徳といふものをつけるのは当りまへであるには違ひなからうけれど、性分だ、その利徳はただ儲(もう)けの為に人に押し付けるやうで、客に価値を訊(き)かれても、さそくに大きい声では返事も出来なかつた。こんな風だから三年目には家を潰(つぶ)して田舎落(いなかお)ちした。そしてあるものはたいがい食ひ尽して仕舞(しま)つたから身過ぎのため何か職業を選ばなければならなくなつた。年も四十に達したので、もうぐづぐづしては居られない、まあ、知識階級の人間には入り易(やす)さうに考へられた医学で身を立てることに決心した。
 当時日本の医学界には、関東では望月三英、関西では吉益東洞(よしますとうどう)、といふやうな名医が出て、共に古方(こほう)の復興を唱へ、実技も大(おおい)に革(あらたま)り、この両派の秀才が刀圭(とうけい)を司(つかさど)る要所々々へ配置されたが、一般にはまだ、行き亙(わた)らない。大阪辺の町医村医は口だけは聞き覚えた東洞が唱道の「万病一毒」といふモツトーを喋舌(しゃべ)るが、実技は在来の世間医だつた。三年間つぶさに修学した秋成は、安永四年再び大阪へ戻つていよいよ医術開業。そのときにかういふことを決心した。「医者はどうせ中年の俄仕込(にわかじこ)みだから下手で人がよう用ひまい。だから、足まめにして親切で売ることにしよう。しかし、いかに俗に堕(お)ちればとて、世間医のやる幇間(ほうかん)と骨董(こっとう)の取次(とりつぎ)と、金や嫁の仲人(なこうど)口だけは利くまい」と決心した。
 足まめにやる方針は一草医秋成を流行(はや)らせて暮しも豊(ゆたか)になつた。医者をはじめて四年目に、家を買ひ、造作をし直して入るやうになつた。その時の費用十二貫(かん)目を払ふことも、さう骨折らずに都合がついた。まづこの分なら見込みはついたと、せつせと働くうちに、自体が弱いからだなのでたうとう堪へ切れず残念にも医者をやめなければならなくなり、またもとの田舎住居(いなかずまい)とはなつた。其処(そこ)がすなはち長柄川の閑居だつた。

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